星の谷道 その1 05

井土ヶ谷第1踏切から見ると、弘明寺駅と崖の間に3階建て駐輪場「弘明寺駅自転車駐車場」があるけど、崖を上る階段が見当たりません。
駐輪場を抜けると横浜市南図書館があるだけ。
仕方がないので、図書館の横の階段で山頂まで上ります。
展望台があるけど、その前に駅側の崖がどうなっているんだろう?と崖下を見ると、あ!駅の改札口から駐輪場3階に出られるようになっている!
な~んだ、駅の階段を上れば山頂に上れるのか…ガクッ。il||li _| ̄|◯ il||l
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星の谷道 その1 04

旧道は弘明寺駅を突っ切って崖の上です。
元は弘明寺の裏山で、昭和5年(1930)弘明寺が売却した裏山に湘南電気鉄道の弘明寺駅が開業しました。
山頂周辺は横浜市に譲渡して、現在は弘明寺公園となっています。
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星の谷道 その1 03

いきなり急な上りの弘明寺坂。
まぁ、スタート地点の弘明寺まで来るのに弘明寺駅からこの弘明寺坂を下りてきたので驚きません(笑)。
旧道は坂の途中で煙草屋兼不動産屋?エステートかんのん屋の角にある路地へ。
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駐車場を横目に階段を上ると、マンション東急ドエルアルス横浜弘明寺の前で弘明寺坂に合流。
そして二叉。
往時の旧道はこの二叉の角を真っ直ぐ進むので、ここで早くも旧道消滅。
ターミネーターじゃないので、二叉の角にある居酒屋ヤード屋をぶち壊してまで進めません。
京急井土ヶ谷第1踏切を渡って迂回します。
ショボ~ン。

京街道 その2 02

寺田屋の帰りは陸側から月桂冠の建物を見学。
日本酒飲めないんだけど…。(^-^;
月桂冠創業家の大倉家本宅は文政11年(1828)に建てられたもの。
指定 or 登録文化財とかにはなっていないみたいだけど、鳥羽伏見の戦いの戦火を免れ、古い建物が残っているのは素晴らしい!
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(大倉家本宅)

京街道 その2 01

京街道歩き初日に、淀宿から伏見宿に戻ってお世話になった旅籠は、素泊まりだけど旅館ちとせ(南新地4-23/075-611-1918)。
伏見なので寺田屋に泊まろうとしたら、昨年のNHK大河ドラマ「新選組!」の影響で宿泊はNG。
そんなことなら駅に近い宿ということで、昭和の雰囲気が残ってイイ宿です。

昨日の敵を取るため、出発前に付近を散策。
十石舟乗船場から宇治川派流の濠川(ほりかわ)に下ります。
寛永14年(1637)に「笠置屋」として創業した月桂冠の酒蔵を見ながら、坂本龍馬が定宿とした船宿寺田屋に向かいます。
寺田屋の前は『東海道中膝栗毛』の弥次喜多も乗った三十石船の寺田屋浜乗船場。
すぐ横の京橋は伏見港の4カ所ある船着場の1つです。
そういえば、昨日出会った六地蔵札の辻の道標に「伏見舟乗ば」って刻まれていたね。
参勤交代の西国大名も利用したというので、往時は賑やかだったんだろうな。
寺田屋では、慶応2年(1866)龍馬が伏見奉行所の役人に襲われた時、入浴中のお龍が外の気配に気付いて、裸のまま龍馬に知らせて難を逃れた、という逸話がドラマチックだね~。
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(寺田屋)

京街道 その2 はじめに

京街道の2日目です。
初日に行けなかった伏見宿のお立ち寄りポイントを見学してから淀宿を出発。
つい「まいかた」と読んでしまいそうな枚方(ひらかた)宿のはずれまで進みます。
しかし、初日の暑い中、張り切りすぎたため?足にマメのコドモができていたのに、手入れする前に眠ってしまったので、さぁ大変!
今日も暑いです。(>_<)

歩行日:2005年 8月18日

京街道 その1 おしまい

今夜お世話になる旅籠は旅館ちとせ。
淀駅から中書島(ちゅうしょじま)駅まで一駅戻ります。
宿に着いてから散策しようと思っていたけど、予定より遅くなったのでもう無理。
宿で一風呂浴びてから、大正14年(1925)に創業した黄桜酒造の直営店キザクラカッパカントリー茶屋で晩食です。
おらは日本酒飲めないんだけどね~。(^-^;
往復で横切った宇治川派流には灯籠の明かりが灯っていてイイ感じ。
明日のため早く寝ればイイものを、何だかんだと0時を過ぎてしまった…。(^-^;
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(キザクラカッパカントリーでカッパのシュウマイ)

東海道五十七次伏見宿 18

深草谷口町交差点で再び府道35号に合流すると、次の左手の上り坂が旧道。
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え!周りが平地なのに、何で山を上るの?と思わず声が出ちゃう。
七瀬川は大きい川じゃないけど、ものスゴく蛇行しているので、意外と暴れ川で、この周辺は湿地帯だったのかな?
不思議に思いながら筆ヶ坂を上ると、格子戸や虫籠窓のある民家が点在しているので、やっぱり旧道なんだ~と納得。
枡形まであります。

東海道五十七次伏見宿 17

深草谷口町交差点の手前で七瀬川を越えると旧道の両側に道標が建っています。
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右側は仁明天皇陵宇多天皇皇后陵道標。
宇多天皇皇后というのは勧修寺の由緒にある醍醐天皇の母藤原胤子(ふじわら の いんし)。
名神高速の北側を進んでいれば、陵墓の前を通っていました。
左側は深草毘沙門天桓武天皇陵道標。
深草毘沙門天は仁明天皇陵の手前にあり、境内の谷口古墳が往時桓武天皇陵とされていました。
深草谷口町交差点から右手北西に延びる道は旧東海道本線の軌道跡で、稲荷駅に向かっています。

東海道五十七次伏見宿 16

山科区と伏見区の区境で旧道の府道35号は左にカーブして名神高速とサヨナラ。
旧東海道本線も一緒に名神高速とサヨナラします。
区境が峠でようやく下り坂。
下り坂の途中で右手に旧道の蛇行跡があるのに、気がつかないで通り過ぎてしまいました…ガクッ。
旧道の蛇行跡2カ所歩きそびれちゃった。
誰かおらの敵をとって!(>_<)

大岩神社鳥居を過ぎると右に旧道。
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大きく右カーブする府道35号は旧東海道本線の軌道跡。
大宅一里塚から地図で計測するとこの付近に深草一里塚があることになるけど、何故か?『東海道分間延絵図』には載っていません。
旧道には格子戸や虫籠窓のある民家が点在してなかなかイイ感じ。
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