スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

東海道五十七次伏見宿 18

深草谷口町交差点で再び府道35号に合流すると、次の左手の上り坂が旧道。
画像
え!周りが平地なのに、何で山を上るの?と思わず声が出ちゃう。
七瀬川は大きい川じゃないけど、ものスゴく蛇行しているので、意外と暴れ川で、この周辺は湿地帯だったのかな?
不思議に思いながら筆ヶ坂を上ると、格子戸や虫籠窓のある民家が点在しているので、やっぱり旧道なんだ~と納得。
枡形まであります。
スポンサーサイト

東海道五十七次伏見宿 17

深草谷口町交差点の手前で七瀬川を越えると旧道の両側に道標が建っています。
画像
右側は仁明天皇陵宇多天皇皇后陵道標。
宇多天皇皇后というのは勧修寺の由緒にある醍醐天皇の母藤原胤子(ふじわら の いんし)。
名神高速の北側を進んでいれば、陵墓の前を通っていました。
左側は深草毘沙門天桓武天皇陵道標。
深草毘沙門天は仁明天皇陵の手前にあり、境内の谷口古墳が往時桓武天皇陵とされていました。
深草谷口町交差点から右手北西に延びる道は旧東海道本線の軌道跡で、稲荷駅に向かっています。

東海道五十七次伏見宿 16

山科区と伏見区の区境で旧道の府道35号は左にカーブして名神高速とサヨナラ。
旧東海道本線も一緒に名神高速とサヨナラします。
区境が峠でようやく下り坂。
下り坂の途中で右手に旧道の蛇行跡があるのに、気がつかないで通り過ぎてしまいました…ガクッ。
旧道の蛇行跡2カ所歩きそびれちゃった。
誰かおらの敵をとって!(>_<)

大岩神社鳥居を過ぎると右に旧道。
画像
大きく右カーブする府道35号は旧東海道本線の軌道跡。
大宅一里塚から地図で計測するとこの付近に深草一里塚があることになるけど、何故か?『東海道分間延絵図』には載っていません。
旧道には格子戸や虫籠窓のある民家が点在してなかなかイイ感じ。

東海道五十七次伏見宿 15

前日の中山道FINALは一度東海道で歩いているのでもう道は間違えないし、今回のルートもイラストマップを頼りに、旧道は名神高速の工事で破壊されていると思い込んで、あまり予習はしていませんでした。
旧道が蛇行しているのを忘れて、府道35号をそのまま歩いてしまって、順序が逆だけど、Googleマップのストビューを見ると名神高速の北側に旧道の蛇行跡が残っています…ガクッ。il||li _| ̄|◯ il||l
画像
(旧版地図の中ノ茶屋 旧道が蛇行しています)

東海道五十七次伏見宿 14

今回は伏見宿の道筋をしっかり歩くつもりだったけど、ここで失敗。(>_<)
「京街道 その1」を歩く時に国土地理院の旧版地図「京都東南部」を取り寄せたんだけど、東海道本線ルート変更後の大正11年(1922)の測量で、軌道跡は細長~い盛り土になっています。
旧東海道は軌道跡に沿いながらも蛇行していて、勧修寺側は軌道跡を右に見て、中ノ茶屋手前から軌道跡が左に。
京街道歩きの後にルートの間違いを知って、旧版地図を見直して、旧東海道は名神高速をくぐって北側に出ると確認していたのに、それから何年も経ってすっかり忘れてしまった…。
画像
(ホントはナガタ工業を過ぎたら名神高速をくぐります)

東海道五十七次伏見宿 13

50分の昼食休憩で旧道復帰。
名前のない交差点を西へ。
緩やかな上り坂を進むと名神高速道路にぶつかります。
これからしばらく名神高速に沿って殺風景な風景が続くけど、遮音壁が長~い蒲鉾みたいで楽しいかも?(^-^;
画像

さっき名神高速の下にある旧山科駅跡を再訪したけど、名神高速のこの区間は旧東海道本線跡です。
開業当時の東海道本線は逢坂山隧道から山科盆地を南に回って、現在の奈良線稲荷駅を通るルートでした。
後に新逢坂山トンネル・東山トンネルが造られ、大正10年(1921)東海道本線は現在のルートに変更。
旧ルートの馬場駅(現在の膳所駅)~稲荷駅間は廃線となり、山科駅も現在の場所に移されました。

東海道五十七次伏見宿 12

旧道に戻り、名前のない交差点を左折するのが旧東海道です。
その前に、この先は山道&住宅地で、しばらく茶屋がなさそうなので、昼食難民になる前に食事しなくちゃ。(^-^;

ということで、名前のない交差点の角にある一休寿し茶屋。
メニューを見ると、勧修寺という1,290円のランチがあります♪
ちょうどさっき勧修寺に立ち寄ったばかり。
せっかくなので、「かじゅうじくださ~い」…。
ん?ご主人がキョトンとしています。
尋ねると、ランチの勧修寺は地名の「かんしゅうじ」だって。
ややこしい。(+_+)
画像

東海道五十七次伏見宿 11

勧修寺から旧道に戻り、名前のない交差点を右折するのが旧東海道です。
その前に、交差点を南下して、また寄り道。
南に進むのに新道と旧道が並んでいるけど、旧跡を訪れるので旧道へ。
しばらく進んでもそれらしいものが見当たらないので、農作業をしている方に尋ねてみると、ちょうど休憩しようと自販機まで行くのでと、案内していただけました。
ありがとうございます。
意外なことに新道沿い…ガクッ。

ということで、ぶどう直売の粟津農園に、明智光秀胴塚。
画像
天正10年(1582)年6月2日の本能寺の変の後、6月13日の山崎の戦いで敗れた光秀が、近江坂本に戻ろうとしたものの、この近くの小栗栖で土民から襲撃され、明智藪で自刃。
この地に光秀の胴体が埋葬されたと伝えられます。
前日の中山道歩きで首塚にお参りしたので、これで首と胴体がつながった?ね。

東海道五十七次伏見宿 10

いよいよお目当ての市指定名勝勧修寺庭園。
画像
平安時代以来という氷室池を中心とした池泉回遊式の庭園。
かつてはもっと広かったけど、豊臣秀吉の伏見城築城の際に、新道建設のために埋められ、現在の大きさになったそうです。
休憩がてら庭園をのんびり眺めようと思っていたのに、見どころが多くてコマネズミのように歩き回って、休憩にはなりませんでした。(^-^;

さて、勧修寺の寺号は「かじゅうじ」。
勧修寺の所在地である勧修寺仁王堂町の勧修寺は「かんしゅうじ」。
ややこしい。(+_+)
しかも、「勧修寺」が頭に付く冠称地名が、勧修寺仁王堂町を含めて29カ所もある!
ややこしい。(+_+)

東海道五十七次伏見宿 09

勧修寺の続きは、市指定有形文化財の宸殿(しんでん)・本堂。
宸殿は延宝4年(1676)造営の明正院御所御対面所で、元禄10年(1697)に下賜されたものです。
付書院を備えた書院造ということで、境内に書院が2棟ある?
画像
本堂は寛文2年(1662)造営の仮皇居内侍所(ないしどころ)仮殿の旧材を利用して、寛文12年(1672)に建築されました。
画像
プロフィール

とらぞう

Author:とらぞう
ブログ「街道てくてくMANIAX」へようこそ。

兄弟ブログもあります。
ブログ 1日中、山道。
ブログ 日光街道ヘロヘロ旅

ホームページ「とら式くるる」もヨロシクね。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
とら式掲示板
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。